その一枚に、空気ごと閉じ込める。ポラロイドカメラがくれる“特別な時間”

カメラ

スマホで簡単に写真が撮れる時代。

気づけばスマホの中には、なんとなく撮った写真が何百枚。数千枚。

そのまま見返すこともなく、まとめて削除してしまう。

──そんな経験、ありませんか?

ポラロイドカメラに出会ってから、私はその感覚が少しずつ変わりました。

目の前の景色をじっくり眺めて、「撮るかどうか」を考える時間。

シャッターを切ったあとに、写真がじわじわと浮かび上がってくるあのワクワク。

そして、少しにじんだレトロな風合いの一枚が、いつの間にか特別な存在になっていく。

今回は、1990年代生まれのポラロイドカメラとの出会いや、

「撮ること」が少し楽しくなるような、よりみちの時間についてお話しします。

日常にちょっとした温かさを見つけたい人へ、届きますように。

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・何でもない風景が、宝物に見えるカメラ

最近、ポラロイドカメラを持って「写真を撮りに行く」ことが、私のちょっとした楽しみになっています。

別に映える景色を探しているわけでも、おしゃれな被写体を狙っているわけでもありません。

ただ、ふと目に留まった木漏れ日や、道ばたに咲く名前も知らない花、夕方の少しにじんだ空。

そういう“何でもない風景”が、ポラロイドを通すと、まるで宝物のように写るのです。

写真って、本来は「残すもの」だけれど、ポラロイドにはそれ以上の魅力があります。

それは、その瞬間を“体験”として閉じ込めるカメラだということ。

・ポラロイドとの出会い|カメラの“同級生”みたいな存在

 私が初めて手にしたポラロイドは、「Polaroid 636 CloseUp」というモデルでした。

ネットで中古を探して、やっと見つけたカメラです。

届いたとき、手のひらに乗せたその質感にドキッとしました。

少しかすれたようなプラスチックの手触り、丸みを帯びたボディ。

調べてみると、このモデルは1990年代に発売されたカメラでした。

私は1995年生まれ。つまり、**このカメラは自分と同じ時代を生きてきた“カメラの同級生”**だったんです。

それを知った瞬間、不思議な愛着が生まれました。

年月を超えて、今また誰かの手に渡り、撮られ続けているカメラ。

そう思うと、これから撮る写真一枚一枚にも、大切な意味があるように感じました。

・撮らない選択がある|ファインダー越しの静かな時間

 ポラロイドカメラには、デジタルカメラのように「とりあえず連写する」という考えがありません。というのも、フィルムには限りがあり、1ショットあたり約400円もかかるからです。さらに、暗すぎてフィルムにほとんど写らなかったり、逆にフラッシュを焚くとせっかくの雰囲気が台無しになったりと、環境によってはそもそもシャッターを切れないこともあります。

 たとえば、夕暮れや室内のほの暗い場所では、景色の空気感を大切にしたいけれど、撮影自体がうまくいかないことがあります。そうした状況のなかで、「今は撮らないほうがいいな」と感じる時間が自然に生まれてきます。

 私はこの“撮らない時間”こそが、ポラロイドの醍醐味だと思っています。

  • 構図をじっくり練る時間
  • ただ景色と向き合って、光や空気を味わう時間
  • 「ここは写真じゃなくて、心に焼きつけておきたい」と感じる時間

 そうしてシャッターを押さない選択をすることで、撮る行為自体に深みが生まれます。次にフィルムをセットしてファインダーをのぞいたときには、「本当にこの一枚がほしい」と心から思える瞬間が訪れるのです。

・シャッターを押す、その意味|一枚が特別になる瞬間

「これは…!」と思えた瞬間にだけ、シャッターを押します。

ガシャン」と音を立てて出てくる白い写真用紙。

シャッターを切ったあとの数秒間、私はいつも少しドキドキするんです。

「ちゃんと写っているかな」「どんな風に仕上がるだろう」と思いながら、

現像されるまでじっと待つ時間が、なによりワクワクします。

完成した写真は、思いがけずブレていたり、光が入りすぎていたり、

淡く滲んだ色味になっていたりします。でも、その“完璧じゃない”感じがたまらなく愛おしい。

一枚の写真が、「ただの記録」ではなく、「その日の空気」や「気持ち」まで閉じ込めてくれる気がするのです。

・その場で“浮かび上がる”写真|アナログだから残るもの

ポラロイドの最大の醍醐味は、“撮ったあとすぐに写真が出てくる”ことです。

でも、出てきた瞬間に完成ではありません。

そこからじわじわと色が浮かび上がり、だんだんと“その瞬間”が現れてくる。

まるで、記憶が形になっていくような、不思議な時間です。

その時間は、まるで魔法のよう。

写真が「記録」ではなく「思い出」になっていく、その途中を味わえる。

スマホにはないアナログの良さが、ここに詰まっています。

・ポラロイドの歴史と少しの魔法

ポラロイドカメラが初めて登場したのは1948年。

エドウィン・ランドという科学者が、娘の「なぜ写真はその場で見られないの?」という一言から発明したといわれています。

当時の人々にとっては、それこそ“魔法のような体験”だったはず。

撮ってすぐに写真が手のひらに現れるなんて、信じられない未来でした。

しかし時代が進むにつれて、一度フィルムの生産が終わり、「もうポラロイドでは撮れないかもしれない」と言われた時期もありました。

それでも、ポラロイドを愛する人たちの手で再び復活し、今ではまた若い世代を中心に注目されています。

アナログの手触り、独特な色合い、そして一発勝負のドキドキ感。

それは今の時代だからこそ、より深く感じられるのかもしれません。

・ポラロイドがくれた「よりみち」

ポラロイドカメラを持って出かけると、不思議と“寄り道”をしたくなります。

いつもの道を一本外れてみたり、ふと気になった喫茶店に入ってみたり。

この景色を、あのカメラで撮ったらどうなるだろう?

そんな気持ちが、日常にちょっとした冒険を加えてくれるのです。

私がブログ名を「げんきのよりみち」にしたのも、きっとこの感覚が好きだから。

カメラがくれた寄り道は、私の暮らしをほんの少し豊かにしてくれました。

・作例ギャラリー|いつもの道の、違った顔

職場から見えるいつもの夕焼け。仕事の終わる「ほっ」とする感覚で見る夕焼けは特別。
3月中旬。ひときは輝く白い花がモクレンだと知ったのはこの写真のおかげ。
ドライブ中に助手席から一枚。小さな牧場はのどかな雰囲気。アメリカ国旗と看板の漢字。

どれも特別な場所ではないけれど、ポラロイドを通して見ると、すべてが大切な景色に変わるようでした。

・使い続けて気づいたこと|写真が“記憶”になる瞬間

ポラロイドを使い続けて、私が気づいたことがあります。それは、撮った写真が「記録」ではなく「記憶」になるということです。

たとえば、友達と出かけた日、偶然見つけた川辺の風景、ふと見上げた帰り道の空――。      そうした一瞬をポラロイドで撮っておくと、後から見返したときに“あの日の空気”が鮮明に蘇ります。

実際、人の目で見た記憶の中にある写真って、淡くてにじんだ雰囲気ですよね。

ポラロイド写真には、まさにその“滲み”がそっくりそのまま写し込まれていて、

滲んだ空の色、少しかすれた木々のコントラスト、風の匂いや声までもが、一枚の中に閉じ込められているように感じるのです。

デジタル写真は膨大な枚数の中に埋もれがちですが、

ポラロイドなら一枚一枚が主役になる。

アルバムに貼ったり、部屋の壁に飾ったりすることで、

その写真は日常の中にそっと寄り添い、

見返すたびに“小さなタイムカプセル”のように思い出を呼び覚ましてくれます。

時には失敗してしまう事も、、、

・ポラロイドとこれから

これからも、私はこのカメラを使い続けると思います。

時を経た分だけ味わいのある、1990年代生まれのポラロイド636 CloseUp。

使えば使うほど、どんどん「自分だけのカメラ」になっていく感覚があります。

便利さでは測れない、でも確かに“特別”をくれる存在。

これから先も、私はこのカメラと一緒に、少し遠回りしながら歩いていこうと思います。

・おわりに|一枚に宿る、その日の空気

写真は、ただの記録ではなく、その瞬間の気持ちや空気をとじ込めるもの。

ポラロイドは、その感覚を思い出させてくれるカメラです。

もし、少しでも「なんかいいな」と思ってくれたら、ぜひあなたも一度、ポラロイドで撮ってみてください。

そこには、今まで気づかなかった「景色」と「気持ち」が、きっと写っているはずです。

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